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BPL2022は全8チームで開催され、ドラフト指名選手は32名。

しかし、じゅんた(RKS-32)BPL2022でドラフト指名されることはなかった。

じゅんたのビーマニプロリーグ3年目の挑戦は一旦ここで幕を下ろす――

 

 

・ビーマニプロリーグとじゅんた

 

2020年開催のBPLZEROではTEAM YASHIROから2位指名。

BPL2021ではシルクハットとラウンドワンの2チームから2巡目では唯一となる競合指名を受けた。

結果的に抽選に勝ったのはシルクハットで、ラウンドワンは外れ2位でKUREIを指名することとなった。

(その後の明暗は皆の知る通りであり、"鉄人"KUREIは予選シーズンで10試合20曲に出場し1633ptを獲得、カウンター7回で個人賞を獲得している。対するじゅんたは9試合18曲に出場し1勝、獲得は僅か2ptに留まった。)

 

一方でBPLプロ選手人気投票では8位に入っている(チーム内では塾長SEIRYUに次ぐ2)

https://p.eagate.573.jp/game/bpl/2dx/bpl_supporters/2021/ranking.html

 

 

高い知名度と期待がありながらBPLの舞台で大きな活躍を見せることは出来ず、

しかしながらシルクハットという人気チームの""であったじゅんたとは一体何者だったのだろうか。

 

 

BPL2022のドラフト候補者における、公式大会(KACBPL)出場歴を見るとじゅんたの公式大会キャリアの豊富さは明らかだ。

 

KONAMI Arcade Championship 2013 決勝ラウンド出場

The 4th KONAMI Arcade Championship 3

The 5th KONAMI Arcade Championship 決勝ラウンド出場

The 7th KONAMI Arcade Championship 西エリア大会出場

The 8th KONAMI Arcade Championship 西エリア大会出場

The 9th KONAMI Arcade Championship 決勝大会出場

BEMANI PRO LEAGUE ZEROTEAM YASHIRO

BEMANI PRO LEAGUE 2021 (SILKHAT)

 

2013年に初出場して以来、途中の6th KAC(2016)を除いて全8回に出場している。

これは(20062008のトップランカー選手権も加味した)KENTANU*TAKAの全7回を上回り、

共に2013で初出場したMIKAMOと並んで最多タイの出場である。

 

この記事ではまず、じゅんたのIIDXキャリアについて見ていきたい。

 

 

 

・鮮烈なデビュー

 

(データはまさお氏のIIDX Top Rankers Viewerに基づきますが、誤りの責任は全て筆者に帰属します。)

https://masaoblue.github.io/iidx-top-rankers-viewer/

 

"初代"KACとなる2011(Lincle)には中部地方二次予選で15位、

2012(tricoro)には中部地方予選8位となったじゅんた。

 

筆者の記憶では彼がその名を全国区にしたのはtricoroSPADA時代にかけてだったように思う。

 

じゅんたが本戦初出場を果たしたKAC2013(本戦のみSPADA)では、これまでの(しばしば賛否のあった)地区予選制が廃止され、オンライン上で5種類の課題曲セットから好きなセットを選び、上位3名ずつ計15名が本戦に出場するという方式が取られた。

 

じゅんたが選択したのはグループAであり、その課題曲は中~高速で癖のない

I'm so Happy

SHADE

quasar

3曲。

 

当然ながら上位は1点を争う熾烈な戦いとなった(実際に3位のHIMI-2(L.B.)4位のZUBUは同点となったが1日早いL.B.が予選を通過した)が、

じゅんたは予選期間1カ月中、なんと僅か2日目で3曲ともにAグループ内トップスコアとなる、16落ち・14落ち・8落ちの提出スコアを叩き出したのだ。

 

特にquasarはグループAEの全てで共通の課題曲となっており、予選に参加した全員(DOLCE.TANMENTAKA.Sや紅茶と言った錚々たるメンツ)を上回るスコアであった。

(なおこの予選はtricoroで行われたが、quasar8個はSINOBUZMACAODMAX-5を出すまで長い間、歴代であったと思う。)

 

 

 

・世界に叩きつけた「元祖パーフェクト」

 

初出場となったKAC2013本戦でこそ結果は奮わなかったが、SPADA時代にはその力を開花させ、

V3000点、AA3600点がトップランカーのラインと言われた時代にV3022(MAX-16)AA3631(MAX-37)という誠に驚異的なスコアで全一を獲得した。

 

特にVについては、DOLCE.が初代トップランカー選手権で自選曲としていたことで彼の"嫁曲"とも言われており、

筆者の記憶では何度かじゅんたやDOLCE.らによる歴代更新合戦があった後にじゅんたがこのスコアを出していたと思う。

 

SPADAにおいてじゅんたが持っていた☆12全一を見れば彼の得意曲が良く分かるが、

保有する5曲は「VAAGOLDEN CROSSG59Broken」という癖のない中速16分譜面の傾向が鮮明だ。

 

思うに、EMPRESS時代にDOLCE.が幾度かの☆12完全制覇を達成した後、DOLCE.を追いかける他のランカーは彼に一矢報いるために何かのジャンルに"特化"することが必要だった。

愛機"ビタチョコ"で追うTANMENはガチ押し十二分譜面を、TAKA.SUNA-10なら発狂系譜面を得意にしていた。

ある意味では特殊な領域の譜面を武器にDOLCE.の牙城に対抗していった時代とも言える。

 

一方でじゅんたは"特化しない譜面に特化"していたのであり、VAAといったIIDXにおける古典中の古典とも言うべき☆12で、つまりある意味では真っ向勝負でDOLCE.に戦いを挑んだ男なのである。

 

そしてじゅんたの代名詞とも言えるスコアが誕生したのはPENDUAL時代。

新曲、超青少年ノ為ノ超多幸ナ超古典的超舞曲(A)において☆11では歴史上初となる理論値(MAX)を叩き出したのだ。

 

当時記録されていた理論値(MAX)☆10におけるDazzlin' Darlintake me higherがせいぜいで、☆11で理論値が出る(出せる)ということなど誰も想像だにしない時代であった。

ドラフト時のじゅんたの二つ名「元祖パーフェクト」はこのスコアから来ており、彼の持つ中速16分譜面への類稀なる精度力を示している。

 

 

・たーじゅんハウス

 

ライトニング筐体が導入され当時とは環境が激変した今現在においても、☆12の歴代(Verflucht(A)MAX-9)を有するじゅんた。

デビュー以来、現在に至るまで長きにわたり高いスコア力を示し続けたじゅんたであるが、数多の公式大会出場歴は彼にとって"塗炭の苦しみ"の歴史でもあったように思う。

 

 

初出場となる2013年はDevilz Staircase(A)で苦しみ(AAランク)16人中15位に終わった。

4th KACでは3人で争った決勝ラウンドで、自選のBLACK.by X-Cross FadeTOKIに食われた挙句、決勝戦で初お披露目となった作品ボス曲、Chrono Diver -PENDULUMs-の初見プレイで屈辱のAAランクに倒れた。

5th KACの決勝ラウンドでは共鳴遊戯の華とMENDESを課題曲としてプレイし、特に共鳴遊戯では再びAAランクに倒れている。

 

20135th KAC3回とも、オンライン予選Aコース(大体は中速曲セットで高スコア勝負になりやすかった)を余裕で1位通過し決勝ラウンドでは一人だけ高密度曲のAAランクに倒れる、というのが一種の「お約束」となっていた。

(念のために言うとSPADA時代にG59で全一を持っていたように、高密度を苦手にしているオッスマンだと言うわけではない)

 

ホームの筐体でこそ圧倒的な精度で予選を軽々通過するが、公式大会(ホーム以外)ではまるで本来の力を発揮できない内弁慶ぶりを揶揄して、彼のホームを「たーじゅんハウス」と呼び・呼ばれるほどであった。

 

 

5th KACのプレイ後インタビューでは本人から「腕がパンパン。筋肉を鍛えた方がいい。」という迷言?も飛び出していたが、

確かに当時の(ライトニング以前の)IIDX公式大会は"出荷時筐体"で開催されており、バネ・スイッチの重さは出荷状態の100g/100gで行われていた。(回によっては開始直前にわざわざ新品のものに交換したほどだったと言う)

 

ライトニング時代は標準で50g/50gとなっているがそれでも20g/20gのような"軽い"筐体も世の中に沢山あるし、そもそも100/100でプレイしているのは事実上公式大会に照準を合わせたプレイヤーのみでありライトニング以前でもバネ抜きと呼ばれる一種の改造筐体などは普通であった。

恐らくじゅんたは軽い鍵盤を(ホームで)好んでプレイし、100/100のような重い鍵盤は苦手にしていたのだと思う。

 

なおその後は6th KACを欠場したが、7th KAC8th KACではそれぞれ西エリア大会で敗れるも相応の勝ち点は獲得している。

特にライトニング筐体の仕様が50/50となっていたことは(重い鍵盤を苦手にしていたであろう)じゅんたには追い風となったか、9th KACでは見事西エリア大会を通過している。

 

 

・度重なる劇的な敗戦

 

筐体差・設定差や環境の変化を弱点としていたじゅんたにとって、50g/50gで統一されたライトニング筐体は追い風になっただろうし、特に2020年から始まるビーマニプロリーグではスコアだけでなく"プロゲーマー"としてのキャラ立ちや人気も重要な要素となっていった。

特にじゅんたの持つ各種大会での解説経験(しゃべり)や端正なルックスを考えると、BPLは彼のビーマニ人生にとって大きなチャンスになるはずだった。

 

BPLZEROではTEAM YASHIROで出場し、3試合6曲に出場。(これはハンデ戦という特殊なルールも一因なのだが)補欠参加となったNORI相手の自選1曲の勝利に留まり、チームもレギュラーシーズンでの脱落となった。

 

一方で彼の持つ実力は変わらず高く期待されており、BPL2021では先述の通りの競合指名の末でシルクハットに所属した。

しかしながら、BPL開戦前から彼の本番力を一部で不安視する声があったのは事実で、以前の拙文においても以下のような選手紹介を記載していた――。

 

克己心 RKS-32(愛知)

各種大会の実況・解説などでもおなじみのRKS-32(じゅんた)BPLZEROに引き続いての出場となる。

元祖パーフェクトの名の通り、中速の16分譜面では圧倒的な精度を誇っている。

2巡目選手としては破格のスペック(自己ベスト)を誇り大会経験も極めて豊富だが、過去の大会では好成績を期待されつつも前評判通りの実力を発揮できないことが多かった。

BPLではシルクハットに所属。

大将戦に出ても見劣りしない能力値の高さはやはり魅力で、特にスクラッチが弱点である"魔術師"SEIRYUとは絶好の二枚看板になるだろう。

振り返ればRKS-32にとって最大の敵はいつも自分自身だったのかもしれない。

 

蓋を開けてみれば「9試合18曲に出場し1勝、獲得は僅か2pt」に終わっており、彼がドラフト2位競合指名であったことを考えれば到底期待通りの結果だったとは言えないだろう。

 

青龍が大将戦で2タテを繰り返しまさに"孤軍奮闘"とも言える活躍を見せ、勝利請負人という二つ名が付く中、

1ptでも取れば青龍に繋げられる第7試合ではALBADINASO相手にグラフがAAAラインを超えるまでリードするも最後に逆転され、

同様の条件の第15試合では4巡目のFRIP相手に2タテを受けてチームの勝ちを逃してしまう。

(2試合ともにその後青龍が2タテして引き分けに終わっている)

 

予選セカンドシーズンにおいても、

6試合で絶対王者ラウンドワン相手にHALNORIが自選をキープし(特にHALにとってはBPL2021唯一の勝ち点となった)、点はイーブンの状態で大将戦にじゅんたが登場した。

しかもジャンルはスクラッチ、相手は比較的スクラッチを苦手としているKUREIであり、ここで2タテすればシルクハットの勝ち、1勝でもすれば引き分けとなる状態で、

KUREI選曲のXperanza(A)で敗れると、自選の灼熱 Pt.2 Long Train Running(A)では自己ベストでは100点以上も上回る相手に、自身の自己ベスト-238BP53という冴えないリザルトで、-15点差に敗れたのであった。

この敗戦について言えば、まさに自分自身に敗れたという他に無いだろう。

 

 

・敗北請負人と多くのファン

 

このように振り返ってみるとじゅんたはただ沢山敗戦しただけではなく、(様々に)劇的な敗戦を思い出すことが出来る。しかも他の試合と違って勝ったプレイヤーではなく負けた側のプレイヤーが思い出されるのだ。

 

(この記事はじゅんた敗戦の原因を考えることが主目的ではないものの)主に以下のような原因があったように思う。

1.過度の緊張、特にチームの勝利に対して過度に気負い過ぎて空回り

2.その裏返しとしてプレー前中後を通して喜怒哀楽が出すぎている

3.確実に勝つために十分な作戦が検討がされていたかは疑問

(特にKUREI戦など、固定オプションで確実に勝てる作戦を立てられる相手だったのでは?)

 

一方でじゅんたが以下の理由によってBPL2021において不可欠な存在だったことは疑いようがない。

 

1.年に一回限りの"特番"であるKACに対して、"レギュラー番組"であるBPLでは切られ役が必要だった

KACは平等な勝負を経て明確に1人の勝者を決めるという性質の番組であるのに対して、BPLでは事前に実力差のある状態で集められたプレイヤーたち(ドラフト指名順位があることから明らかだ)が毎週の放送の中で成長し、時に敗れ、台本の無いドラマを演じていく性質の番組である。

勝ちと負けが同じだけ生まれるBPLのレギュラー放送の中で、(本人は望まないことであったにせよ)これまでの実績や知名度が十分でしかし劇的に逆転負けするじゅんたはドラマを演出する切られ役として適役だったのだと思う。

 

2.SEIRYUマジックというドラマ

3巡目のNUMATAが辞退したことによって元々戦力的には劣っていたシルクハットチームだが、じゅんたの敗戦によってチームが一層の窮地に陥るたび、青龍による劇的な逆転が印象付けられていた。

 

3.人間らしさ

プレイの技巧だけでなく精神的なコントロールすら達観し人間離れしたように思えるプロたちに対し、緊張や悔し涙などの喜怒哀楽、つまり人間臭さが全面に溢れるじゅんたは多くの共感を集めていたように思う。

 

そして、これらの原因によって負けを正当化するのみならず、じゅんたには実際に高い人気があった。

BPLを経てビートマニアは単なるゲームからeSportsになった。

プロとは単なるランカーではなく、多くの人々(ファン)の気持ちを集める力があってこそのプロなのだとすれば、

強さ(スコア)や勝ちのみによらず多くのファンの心を掴んでいたじゅんたは、BPL時代における新しいプロ像の一端を体現していたのだと思う。

 

結論として(プレイヤーとしてのじゅんたには自他ともに満足できなかっただろうが、)BPL2021という舞台とその成功にはじゅんたという存在が欠かせなかったと思うし、だからこそ多くのファンが居て愛されていたのだろう。

 

 

・捲土重来に向けて

 

戦績は期待外れだったが多くのファンが居たから良かった――

しかし、筆者はじゅんたがそれで満足する男だとも思わない。

 

そもそもKAC2013以来、あれほど何度も全国大会で敗れても(恐らく自分が公式大会には不向きなことは十分に自覚した上で)公式の舞台に出続けていることを考えれば、じゅんた本人としては全一の更新のみならずやはり公式大会で戦績を挙げることに大きな価値を感じていたように思える。

 

重ねて言うまでもないが彼が持つスコア力は当然高いし、9th KACでは"三度目の正直"で西エリア大会を通過したように、過去にも少しずつではあるが自分を修正してきた実績がある。

なによりも、何度敗れても勝負の舞台に立ち続けるガッツがあることを、我々は知っている。

ある意味でじゅんたは"世界で一番負けた男"かもしれないが、裏を返せば"世界で一番負けても、それでも世界で一番勝負を挑んだ男"であることは紛れもない事実だ。

将来再びビートマニアの舞台に帰ってくる、もしくは怪我等でビートマニアを離れたとしても、自分の"向こう傷"を堂々と誇りにしつつ、次こそは「じゅんたWIN」を見せて欲しい。